Dのおりん
市田 和恵
富山湾に面した古い港町で一緒に過ごした友は今、ドイツの首都ベルリンで夢を叶え、オペラ歌手として活躍しています。異国のオペラ界で生き抜くことは、努力と苦労の連続だそうですが、公立劇場と専属契約を結び、主役を務め、国立歌劇場の舞台に立ち、東洋人という、自分ではどうにもならない外見や差別を受け止め、懸命に頑張っています。
この友の両親は、自宅でスナックを営んでおり、夜の、お酒の仕事をしています。子供の生活環境を案じた両親は、幼い友を近所の尼寺に預けました。こう書くと、寂しく可哀想な幼少期を想像されるかもしれませんが、友は両親の深い愛情と、知恩院の門主様のそばで修業したという庵主様の温かな慈しみに守られ、音楽への情熱と御仏への信仰を深めながら、心豊かに、真っすぐに育ちました。
音楽大学を卒業し、夢を叶えてドイツに渡って数年が過ぎた頃、故郷に一時帰国している友を訪ねた時です。両手の掌で大事そうに包まれた、丸く、ころんとした金色に輝くおりんを、嬉しそうに、ちょっと自慢げに私に見せてくれました。その眩しく光るおりんをそっと台座に置くと、チーンとひとつ鳴らし「これ、Dの音。」
と、絶対音感を持った友は、得意な様子で微笑みました。そしてベルリンでは毎日、キャンドルをお灯明の代わりに灯し、お経をあげ、お勤めをしていること、これからはそのお勤めに美しいおりんの音が加わることを、静かに、にこやかに話してくれました。
大人になってから身に付けたドイツ語の世界でたった一人、両親と庵主様の他に家族を持たず、孤独に、オペラ界という戦場で闘っている友。その友がベルリンの古い石造りの住まいで、お灯明の暖かな光に包まれ、外ではオペラを歌うその口から朗々と経文を唱え、澄んだ美しいおりんの音を鳴らしている。私は見たことのないその姿を、なぜかはっきりと目に浮かべることができます。そしてそんな情景を思うと、胸がいっぱいになり、遠い故郷から友の幸運を祈らずにはいられないのです。
オペラ界という戦場で、ドイツ語で歌う魂の声がベルリンの聴衆の心を揺らし、喝采がふりそそぐ。そんな舞台を終え、古い石造りの、一人の部屋へ帰る友。遠い異国のその部屋に、誰も日本語で寄り添う者はいないけれど、あの丸く金色に輝くおりんが友の傍らにある。その部屋を、美しいDの音が満たしてくれている。そう思うと、私はとても、とても安心するのです。
「これ、Dの音。」
そう言って微笑んだ友に、私はあの眩しく美しいおりんが、友を守り、友を抱きしめ、たくさんの幸運を運んできてくれると信じているのです。