「糸」
朝山 ひでこ

 戦前までは農家だったというこの家に私が嫁いできたのは、三十五年前のこと。
 御仏壇は改築の際に作り付けられた立派な物で、御本尊様はいつの時代の物かさえも分からず、御位牌は九柱、そしてそこに記されている戒名は、なんと三十六も有った。
 毎朝、仏間からは、母(姑)の上げる線香の香と共におりんの音が届き、ひとしきり何かを唱えるような声も聞こえてきた。
 そして、ルーティンを終えて食卓に参加する母の顔は、いつも晴れ晴れとしていた。
 一度、何を唱えているのか聞いてみたことがある。すると、母は少し照れ臭そうに「みんな仲良く、みんな元気で一日過ごせますように。大体そんなところね」と笑った。
 その頃の私には、日々繰り返される母の行動は、遠い世界のことのように思えた。
 しかし、父(舅)が亡くなり、しばらく経ったある朝のこと。
 いつもの時間に、おりんが聞こえてこない。
 その代わり、カツンカツンという乾いた音が数回続き、悲鳴のような声がする。
 驚いて仏間をのぞくと、母が小さな背を丸めてうずくまっている。
「やり方が分からなくなっちゃった・・・」
 りん棒を握りしめ、母が叩いていたのは、おりんではなく、香炉だった。
 母の認知症は進み、やがて、朝のルーティーンは私が引き継ぐことになった。
 母の背中を見ていたはというものの、特に教えられたわけではない。
 そもそも、好んでやりたいと思っていたことではなかったから、自分がやり易いよう、そして気分が良くなることを心掛けた。
 生花のお水を替え、お茶とご飯のお初を上げるところまでは手際良く。しかし、御仏前に正座し、線香を上げ、おりんを打つ一連の動作は、息を整えながらゆっくり行う。
 回を重ねるうちに、おりんの響きはいつも同じではなく、打つ人の心を映す鏡のようだと思えてきたのだ。
 心を空にしておりんを打ち、目を閉じてその響きを聴いていると、不思議と心が落ち着き、母のことばが浮かんでくる。
 考えてみれば、この土地に縁もゆかりも無かった私が、こうして、会ったことのない先祖たちと向きあい手を合わせるのは、なんと奇妙なことだろう。
 御仏壇のおりんは、時空を超え、御霊と、それを守る者とをつなぐ、糸のようなものかもしれない。
 お互いに守り守られ、それは、今を生きる者の平穏をつむぐ糸でもある。
 そして私は、誰の為でもなく、自分自身の為に、毎日手を合わせ、おりんを打っているのだと気付かされる。
 今日もきっと良い一日になる!
 一瞬の静けさの中で余韻に浸った後、朝の食卓に向かう私の顔は、きっと晴れ晴れとしているに違いない。あの頃の母のように。