母とおりんと そして私
杉浦 宏美

「リーン」おりんの音は朝のあいさつ。今、ここにいる人にも、あちらに逝ってしまった人たちにも。
「リーン」おりんの音は扉を開ける。グォーっと空気が割れて見えない扉が開く合図。
「今日も無事に朝がきました。私はこっちで生きてます。」と、いつものセリフ。
セリフの主は今年八十六歳の母。半世紀前に先立たれた夫に毎日朝夕おりんを鳴らす。「リーン」おりんを鳴らすと空気が震える。耳を澄ますせば透き通る余韻。
父が病で逝った頃、若かった母はやつれ、危なっかしく見えた。朝、仏間からおりんの音が響いてくると、今日も無事だなと布団の中でホッとした七歳だった私。
「リーン」おりんの音は神へと続く。幼かった私、隠れて真似して小さくおりんを鳴らす。
「どうか神様、お母さんは連れていかないで」と。
おりんの音は祈りのはじめ。神様にお願いするために。
月日は流れて私は嫁ぎ、母はひとりで相変わらず朝夕あいさつ。
「リーン、今日も無事に生きてます。あなたはそちらでどうですか?私の祈りとあいさつのおりんが聴きたいうちは生かしてくださいねもう充分祈りが届いたら、その時は迎えに来て下さいな。」
そうして五十年、それはもう驚き!。
そんな私も五十も半ば。嫁いだ先でやっぱり「リーン」
私はおりんを音階にして音楽を奏でる。おりんのメロディー。和音を奏でてハーモニー。
ゆっくりと、たゆとうおりんの音は聞こえる人の心をほどいて、癒して溶かして、気が付くと涙が流れ出る。
流れる涙と一緒に心に溜った悲しみや、言えずに堪えた気持ちが溢れて来るようで、なんて不思議な音の波。
話さなくてもいい、説明なんてひとつもいらない。
ただそこになんの衒いもなく佇んで、心を静かにおりんを打つと、空気が波紋の様に広がって、人にも犬にも猫にも花にもあらゆる生きとし生けるものに寄り添う。
ニュートラルな心に戻り、じんわりと感謝の気持ちを増幅する音の波・・・。

 目を閉じて、安らかな顔で今日もまた、仏壇の前でおりんを鳴らす母。物忘れが多くなったこの頃。
「リーン」
今日はもう何回目かな?と数えますまい。お父さんに会いたいんですね。