心の「ゴング」
角谷 恵子

金縛り?全身麻痺?幽体離脱?もしかして死後硬直の一歩手前?
体が動かない。激しい動悸で胸が苦しく、脂汗をかいているのに、体が凍りついている。
 四六年前、私は突然学校へ行けなくなった。中一の夏休みが終わった朝、異変が起きた。体が震えて布団から出られない。不思議なことに学校を休むと体は動く。理由がわからず親にも説明できない状態が続いた。こんな私を誰も理解してくれない。まるで犯罪者のように扱われ、毎日のように親に責められる。先生は、最初は心配してくれたが、時間の経過ともに無視されるようになった。私の存在はどこにもなく、完全に引きこもりとなってしまった。あっという間に五年が過ぎ、気が付くと十七歳になっていた。
ある日両親に厳しく叱責され、泣き疲れて布団でうとうとしていた。祖母が夢に出てきた。そして三十年後の自分に会った。白衣を着てイキイキと仕事しているが、それが何なのかはわからない。祖母は何も言わず、私を見てうなずいている。
 「チーン」おりんの音で目が覚めた。私は夢か現実かわからず、ぼーっとしていると、またおりんが鳴った。
 「あっ、今日は祥月命日だからお坊さんが来ているんだ」祖母の祥月命日に気づき、あわてて仏間へお参りに行った。祖母の写真に「おばあちゃんの形見の枕で寝ていたら三十年後の夢を見たよ」と報告した。『邯鄲の夢』にそっくりで、私は思わず噴き出した。声を出して笑ったのは何年ぶりだろう。気持ちがスーッと軽くなり、急にお腹がすいてきた。
「チーン」遺影に手を合わせ、おりんを鳴らしたとき、いきなり、私の心にプロレスのゴングが鳴り響いた。私はファイティングポーズをとり、「ヨッシャー!」と叫んだ。体の中に見えないチカラが湧き出てくる。
「何だろう、このチカラは?」この日は私が夕飯を作り、両親に食べてもらった。
「うまい!」両親の喜ぶ顔を見たのは初めてである。ふと、私の心の中で夢が芽生えた。
「調理師になりたい」一念発起して、高卒認定試験の受験を決意した。算数は小学校の問題からやり直し、三年かけて自力で合格することができた。そして調理専門学校に入学し、調理師免許を取得した。その間、何度もあきらめかけたが、おりんを鳴らすと心にゴングが鳴り響き、見えないチカラが体を包む。くじけそうなときはおりんを鳴らし、歯を食いしばった。おりんを抱いて寝たことも、一度や二度ではない。
 調理師になるのに六年以上費やしたが、どうにか、病院に厨房職員として就職することができた。不登校だった私が調理師になり、患者さんの食事を作り続けて三六年、来年定年を迎える。十七歳のときに見た三十年後の私は、調理師だったのである。
 「ありがとう、おりん」
私はおりんを抱き寄せ、そっとキスをした。