私の相棒~おりん~
久原 弘

 今から三十年前、私はまだ新米の高校教員。当時、私の勤めていた高校は泣く子も黙るバリバリのヤンキー学校だった。授業中、大声で騒ぎ、歩き回る生徒、教室から忽然と消える生徒、先生の授業はそっちのけで、殴り合いのケンカをし、血だらけになる生徒など枚挙にいとまがない。ひどいのになると、授業中にシンナーを吸ったり、ウォークマンを聴いているのを注意され、腹を立てて先生をボコボコにする生徒までいる始末である。
 始業ベルが鳴り、教室に入った時は常に蜂の巣をつついたようなどんちゃん騒ぎ。「静かにしなさい!」とどんなに大声を張り上げても、全く聞く耳を持たない。仕方がないので教壇を思いっきり手でバンバンたたいたりもするが、何の効果もなし。拡声メガホンで、生徒を驚かせたり、黒板に爪を立てて、不快音を立てる先生もいたが、逆に反発を買って、さらに大騒ぎになっていた。
 そこで、私は何とか生徒を静かにさせようと、考えに考えた末、まず心地よい音楽を聞かせることにした。モーツアルトやバッハなどのクラシック音楽で、生徒の心をつかもうとしたのだ。ところが、音楽をかけた瞬間から、「なにそれ、めちゃくちゃ気分が悪くなるわ。」と言われた。次に清流のせせらぎや、カッコウやホトトギスなどの美しい鳥の声、そしてスズムシやマツムシを代表とする虫の声(ね)など自然界における心地よい音を聞かせてみた。これには少しばかり自信があったのだが、これも全く関心を示さず、「胸くそ悪い。」とまで言われてしまった。
 そんなある日、いつも母親が朝晩のお経をあげる時、必ずおりんを「チーン」と鳴らしていたことを思い出した。その音を聞くと、妙に安らかで落ち着いた気持ちになるのを私は常々不思議に思っていた。それと同時に「これだ!」と思ったのである。早速翌日から仏壇のおりんを拝借し、学校で授業の最初に鳴らしてみた。すると、どうだろう。突然クラスが静まり返ったのだ。私はチャンスとばかり、間髪を入れず授業に入ったが、途中多少ざわついた場面もあったものの、最後までまともな授業が成立したのだ。それ以降も授業の最初におりんの音を聞かせると、いつもではないが、ほぼ授業がスムーズに進むのである。最初は物珍しさで静かになっているのだろうと思っていたが、長く継続するところから不思議に思い、何人かのヤンキーに聞いてみた。すると、「なぜかわからないが、何となく心が落ち着いてくる。」や「心が洗われる感じがする。」と答えたのだ。中には「思わず聞き入ってしまう不思議な力があるのでは。」と答えたヤンキーもいた。
 私は今でもこのおりんの音を使っている。今はヤンキー学校ではないので、毎日ではなく、特に生徒に聞いてほしい授業の前などに用いている。そして今の生徒もあの当時のヤンキーたちと同じく心が安定すると口々に言う。おりんの澄み渡った美しい音は、一瞬にして多くの人の耳と心をひきつけ、心を安らかにしてくれるのだろう。今後も私の相棒として末永く付き合っていきたいと思う。